りぼんの読書ノート

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沙中の回廊 上(宮城谷昌光)

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中国を舞台とする歴史小説というと『三国志』や『項羽と劉邦』くらいしか思い浮かばなかった時代のこと。殷、周、春秋・戦国時代などの古代中国の物語をベストセラーとした著者の作品の中で、最初に読んだのが本書でした。今回は再読です。 

 

春秋戦国時代とは、周が都を洛陽に移したBC770年から、秦が中国を統一したBC221年までの550年間のこと。本書で描かれる時代は晋の文公(重耳)の即位直後のBC636年から、本書の主人公である士会が宰相を辞すBC591年であるので、実質的には小国の座に転落した周が、祭祀の主催者として形ばかりの権威を保持していた時代。諸侯たちの目標は「周王の名代」として諸国に号令をかける「覇者」となることであり、まあ日本でいえば足利時代末期のようなものでしょうか。 

 

当時の大国・晋の文公(重耳)が即位するまでには「驪姫の乱」と呼ばれる後継者争いがあったのですが、それは本書とは別の物語。しかし愚直に君命を尊重する立場をとった士家は「驪姫派」とみなされたために、本書が始まる時点では没落寸前。そんな家の次男として生まれた士会は、並外れた兵略を身に着けることで老年の文公に見出されます。 

 

この時代の兵略とはどのようなものだったのでしょう。実はそれを描き出すことが本書の目的なのかもしれません。情報を重視するとか、敵の意表を衝くなど、後世の「孫武の兵法」と重なる部分も多いのですが、その本質は「礼」なのかもしれません。後に孔子が体系立てた「礼」は儀式的な側面が重視されているようですが、この時代においては「天意に叶う振る舞いをすること」であり、そうすることで勝利を引き寄せ、敗北を遠ざけることができるという共通認識があったように思われます。 

 

士会のデビューは、晋の文公が楚を破って覇者としての地位を確立した「城濮の戦いでした。晋軍が帰還する際に、文公の兵車に同乗して護衛を務める「車右」に命じられたのです。これは最強の戦士というだけでなく、文公の理想とする礼を武において具現するとの意味合いもあり、これで彼の生涯の方向性が定まりました。その後も兵略をもっても秦に大勝するなどの戦功をあげ、隋に領地を得て太夫にまで出世しますが、またも後継者争いに巻き込まれて敵国である秦に亡命するはめに陥ってしまいます。 

 

彼の生涯のクライマックスはまだまだこれからなのですが、前置きを長く書きすぎました。続きは下巻のレビューに記しましょう。 

 

2020/7再読