りぼんの読書ノート

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物語ベルギーの歴史(松尾秀哉)

 

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ブリュッセルにEU本部を擁してEUの首都とも称されるベルギーですが、ヨーロッパの大国はもちろん、隣国のオランダと比べても影が薄い印象です。古くからヨーロッパの十字路たる要所に位置していたことが、古代から多くの戦乱の舞台となり、1830年の建国後もドイツやフランスなどの強国に翻弄されてきた理由であるとは皮肉なもの。しかもそのことが、現在まで続いている「分裂の危機」をもたらしているのです。 

 

ベルギーのほぼ中央を言語境界線が通っています。北はオランダ語圏のフランデレン、南はフランス語圏のワロンであり、北部にある首都ブリュッセルだけは例外であるとのこと。言語境界線の歴史はローマ時代末期にフランク族とゲルマン族の境界となったことまで遡るというから、根が深い。 

 

交通の要所に位置していたがゆえにフランドル地方の諸都市は繁栄したものの、政治的な統一は長い間果たせませんでした。843年のヴェルダン条約では大半が中部フランク王国に属していたものの、870年のメルセン条約では東西に分割されてしまいます。その後も英仏100年戦争やブルゴーニュ戦争に巻き込まれて支配者が次々と変わり、オランダ独立戦争においても南部はハプスブルク家支配のままで、一時は結婚の持参金扱いされていたほど。ようやく独立を果たしたのは、ナポレオン体制後の1830年のことでした。その後も第一次、第二次世界大戦の戦場となってドイツに占領された悲惨な歴史をたどります。 

 

もっとも被害者であったばかりではありません。帝国主義時代の、国王レオポルド2世によるコンゴの個人所有は世界最悪の植民地支配であり、独立後の対応も悪く、ベルギーは中部アフリカ地域の不安定化にまで責任があるようです。 

 

戦後は言語紛争によって何度も分裂の危機にさらされた末に、現在の立憲君主連邦制に落ち着きましたが、選挙のたびに政治空白期間が生まれることもしばしば。EUの中核国家として生きる道を選択して現在に至っているわけですが、ブリグジットの影響や移民問題をどう乗り越えていくのかが、今後の大きな課題なのでしょう。 

 

2020/5