りぼんの読書ノート

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街道をゆく 38.オホーツク街道(司馬遼太郎)

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無性に流氷が見たくなって、2月中旬に紋別まで行って流氷船ガリンコ号に乗船してきました。まだ北海道での新型コロナ感染が話題になる前だったのですが、戻ってから2週間、発熱しないかと心配してしまいました。そんな関係で、稚内から紋別経由で網走から知床に至る「オホーツク街道」を読書。私が訪れた紋別市立博物館や流氷科学センターも訪問しています。名称こそ変わっていますが、30年近く前から既に施設はあったのですね。 

 

冬の北海道を訪れてゴム長姿で雪道を歩いた著者は、5~10世紀に北海道を拠点に活躍したオホーツク人に思いを馳せます。日本人の先祖の一派でありながら北辺に消えた海洋狩猟民族は、本州の縄文人とは異なる文化を育んでいたようです。稚内のオンコロマナイ遺跡、浜頓別の目梨泊遺跡、紋別のオムサロ遺跡、常呂町常呂遺跡、網走のモヨロ貝塚などを訪問しています。 

 

とりわけ印象に残ったのは、大正2年にモヨロ貝塚を発見した米村喜男衛氏の物語。津軽に生まれた米村氏は、小学校時代に拾った石器に魅せられて考古学への情熱を燃やし、長じて理髪店で働きながら考古学会の会報に目を通し続けたとのこと。やがて東大の鳥居教授の知遇を得て考古学会に入会させてもらったことが、後の遺跡発見に結びついていくのです。著者は「日本のシュリーマン」と呼び「シュリーマンとの違いは巨富を得なかったこと」と綴っています。 

 

紋別に関していえば、後に鴻之舞金山の設立につながる明治末のゴールドラッシュ時代に関する記述もありました。先述の市立博物館で、金山の歴史に関する展示とビデオを見てきたのです。オットセイの剥製やコイワシクジラ骨格標本も、まだ展示されていましたよ。著者が「スター的存在」という擦文土器については、予備知識がなかったために詳しく見てこなかったことが惜しまれます。 

 

2020/4