りぼんの読書ノート

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チンギス・ハーンの一族4.斜陽万里(陳舜臣)

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モンゴル帝国の第5代ハーンとなったフビライは、バヤンを総指令に任命して南宋攻略に乗り出します。彼の戦いぶりは見事でした。むやみに敵を殺害することなく、降伏者を寛大に扱って登用していったのです。南宋を滅ぼした軍の主力は、漢人部隊と言っても過言ではないでしょう。 

 

著者は南宋滅亡に関して「史上、これほど平和裏に首都のあるじが交替した例はない」と述べています。宗の皇族も皆丁重に扱われており、かつて金の皇族が全員殺されたのとは雲泥の差。世界帝国となったモンゴルでは、遊牧民的気質も相当に薄まっていたのでしょう。 

 

しかし文天祥や張世傑らは、宋皇帝の幼少の兄弟を立てて、福建に亡命政権を打ち立てます。もちろん単なる抵抗勢力にすぎず、最後は崖山で壊滅するのですが、その悲劇は長く伝わりました。南宋というと、皇帝が浪費を重ねたり、岳飛を謀殺したり、『梁山泊』の悪役だったりと印象が悪いのですが、亡国に際して国に殉じた者の数は、歴代王朝で圧倒的に多いとのこと。科挙によって採用された士大夫が重用されていた王朝だったのでしょう。さらにフビライは日本遠征を行いますが、二度に渡って失敗に終わったことは日本人なら誰でも知っていますね。 

 

その後バヤンは西方に軍を転じますが、ハイドゥの乱が最終的に鎮圧されたのはフビライの死後でした。フビライの後は孫のテムルが継ぎますが、そのころのモンゴル帝国は、元、チャガタイ・ハン国イル・ハン国キプチャク・ハン国の4カ国からなる緩やかな連合体にすぎなかったようです。テムルの後は君主位を巡る対立と抗争が相次いで王朝の安定は失われ、各地のハン国は分裂。中国でも朱元璋の明によってモンゴリアの地に追われた後に国家は消滅しますが、著者は簡素な表現にとどめています。著者が描きたかったテーマは「興隆」だったのですから。 

 

2020/4再読