りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

白洲正子自伝(白洲正子)

f:id:wakiabc:20191005065842j:plain


幼少期より梅若流の能の舞台にあがるほど能に造詣が深く、青山二郎小林秀雄の薫陶を受けて骨董を愛し、
『かくれ里』など日本の美についての随筆を多く著し、吉田茂の側近として占領下の日本で活躍した白洲次郎を夫に持ち、梅原龍三郎細川護熙河合隼雄多田富雄小林秀雄等との交友もあった「白洲正子」という女性は、どのようにして出来上がったのでしょう。 

 

「自分の過去についてまったく興味を持っていない」という著者が、新潮社の編集部に頼み込まれて思うままに書き綴った「自伝」は、直感による自己流の解釈が巧まずして事物の本質を突いている著者の作品と同様に、「韋駄天お正」というたぐいまれな人物が生まれ来た由縁を見事に語っているようです。 

 

幕末の志士から軍人政治家に転じた樺山資紀と、「薩の海軍」を作り上げたを川村純義を祖父に持ち、生まれながらの華族でありながら、それに飽き足らずにアメリカに留学したお転婆娘は、親にも相談せずにわずか19歳で白洲次郎と結婚。気に入って購入した鶴川村の古民家に住んだことで戦中戦後の混乱に巻き込まれることなく「我が道」を進み続けられたことは、幸運というより自ら招き寄せた強運であったように思えます。 

 

本書を解説した車谷長吉氏は、彼女の本質は「対象の命を一瞬にして立ち貫く度胸」と「あらゆるものを公平な目で見る強さ」にあり、それは「薩摩隼人の娘」であったことに多くを負っているのではないかと述べています。祖父や乳母たちの薫陶に多くのページが割かれていることも、それを裏付けているのでしょう。 

 

本書は54歳にして「西国三十三カ所観音巡礼」に出たところで終わっていますが、後の「白洲正子」を決定づけた旅は、なんと日本中が東京オリンピックに熱中していた昭和39年の10月のことでした。彼女の反骨精神の面目躍如たるところが強く感じられます 

 

2019/10