りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

リラと戦禍の風(上田早夕里)

f:id:wakiabc:20190821065152j:plain


『華竜の宮』や『深紅の碑文』などの「オーシャンクロニクルシリーズ」を代表作とするSF作家が、なぜファンタジー小説を書いたのでしょう。しかし第二次大戦下の上海で細菌兵器の恐怖を描いた前作『破滅の王』で、すでにその予兆はあったのです。
 

 

本書の舞台は第1次対戦下の欧州。塹壕の中で死を迎えようとしていたドイツ兵のイェルクは、シルヴェストリ伯爵と名乗る謎めいた存在に救われます。実はその伯爵は、15世紀のワラキア(現ルーマニア)で「串刺し公」ヴラド3世とともにオスマン帝国に抵抗した貴族であり、魔物によって不死の存在とされてしまったとのこと。 

 

実体は前線の塹壕に遺したままで半身を虚体とされたイェルクは、伯爵が保護しているポーランド人の少女リラの護衛を頼まれます。かつて故国を失った伯爵は、祖国解放を強く願う者たちに共感を抱いていたので 

す。リラに付き従って欧州各国を俯瞰したイェルクは、エッフェル塔に集う各国女性たちの生き霊や、セルビア軍に紛れ込んだ人狼ミロシュらと知り合って、戦時下で苦しむ者たちの支援活動を始めます。しかし戦場に残る実体は、祖国ドイツや戦友たちとの絆に縛られ続けるのです。 

 

この矛盾こそが、著者の描きかかったテーマなのでしょう。やがて帝政を倒したドイツがリープクネヒトやルクセンブルクらの社会主義者たちを虐殺し、次の大戦や侵略戦争や革命が起こる未来に向けて、イェルクはどのような決断をするのでしょう。彼に向かって「それは魔物の務めではなく、フィクションの仕事」と皮肉を言う伯爵の言葉こそは、現代社会に生きる著者自身の意思表明ですね。 

 

2019/8