りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

活版印刷三日月堂5.空色の冊子(ほしおさなえ)

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祖父が残した川越の小さな活版印刷所「三日月堂」を再開した孫娘の弓子さんと人々の触れ合いを描いた濫作短編集のシリーズは、第4巻でひとまず完結しています。本書は「三日月堂」の過去を尋ねる番外編です。

 

「ヒーローたちの記念写真」

亡父が遺した西部劇映画の評論を出版しようとする息子の姿を描いた「俺達の西部劇」の前日譚です。時流に乗り遅れた半生を悔やむ映画ライターが書き続けたエッセイは、唯一息子に伝えたいものだったのです。

 

「星と暗闇」

父親の印刷所を継がなかった青年が天文学者になったのは、幼いころに祖父が山上で見せてくれた怖いくらいに燃える天の川の記憶のためでした。やがて青年は『銀河鉄道の夜』を愛読するギターの得意な女性と結ばれ、可愛い一人娘も生まれるのですが・・。もちろんその娘が弓子です。

 

「届かない手紙」

母の死後しばらくの間、印刷所を営む祖父母に預けられた弓子が、生活が安定した父親のもとに戻される前の晩、弓子は祖母に手伝ってもらってレターセットを作ります。でも一番届けたい人に手紙が届くことはもうないのです。

 

ひこうき雲

学生時代に女性バンドで歌っていた女性は、結婚をして退職し子育てに専念していたのですが、専制的で子供を愛することもない夫との離婚を決意します。早くに亡くなったバンド仲間の女性の命日に墓前で歌ったことをきっかけにして娘たちと心が通じ合えたことが、きっとこれからの彼女の人生を支えてくれるはず。

 

「最後のカレンダー」

町の印刷所が廃業した理由は、活版が衰退したことだけではありません。年老いた主人の奥さんの具合が悪くなって、もう長くないと医者から言われたからなのです。お得意様だった和紙店の店主は、印刷所の最後の仕事を手伝いながら、後世に伝えるべき伝統について語り合います。

 

「空色の冊子」

印刷所の主人が妻を亡くした翌年に大震災が起こります。幸いにも人的被害はなかったものの、孫娘の弓子も通っていた保育園では、卒園記念冊子の印刷に支障が出てしまいました。老主人は急遽、旧式の活版印刷での協力を申し入れます。どんな時代でも、どんな事態でも、子供たちは未来です。

 

「引っ越しの日」

劇団から去って郷里に戻っていた女性は、夢をあきらめていない後輩の芝居を観に来た横浜で、大学時代の友人だった弓子と出会います。父親の死と結婚の破談が重なって、亡くなった祖父母が住んでいた川越に引っ越すという弓子を手伝いながら、2人はかつて抱いていた夢について語りあかします。でも過去の思い出と未来の夢は繋がっているのです。

 

2020/11

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幻想蒸気船(堀川アサコ)

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人気の「幻想シリーズ」第8作の舞台は蒸気船。ここも、「郵便局」や「電氣館(映画館)」や「寝台車」と同様に、亡くなった方々が来世へと旅立つ場所でした。どうもこの業界も競争が激しいようで、天国の花畑や来世からの通信や人生を振り返る映画「走馬灯」の上映などの顧客サービスを競っているのですが、蒸気船のウリは幽霊船の黒船に乗って、幽霊のペリーに会えること。そして黒船が出港する浦島湾の沖合には、やはり現世と来世のはざまにある奇妙島という小島がありました。

 

両親を失ったツムギは、島からの使いから「あなたはその島の跡取りになれる資格がある」と伝えられて驚天動地。若いころに駆け落ちしてきた母親は、島の存在も、自分が島首の末娘であることも、ツムギに隠し通してきたのです。しかもそこは、人間と妖怪が同居していることに加えて、現代日本で唯一鎖国を続けている島でした。ツムギの傍にはいつも赤殿中という子ダヌキがいるのですが、彼女はそれを自分にしか見えない妄想だと思っていたというからノンキなもの。

 

黒船を運行するフェリー会社の事務員となり、試しに島を訪れてみたツムギでしたが、折しも島では開国派と鎖国派に分かれた争いが起こっていたのです。やはり島主の資格がある従兄が開国派であったことから、自然と鎖国派の代表に祭り上げられてしまったツムギに、次々と災難が降りかかるのですが・・。

 

このシリーズは楽しいですね。どの作品でも、普通の若い女性がとんでもない世界のとんでもない事件に巻き込まれていくことがパターン化されているとはいえ、その驚き加減と次第に慣れていく様子がとてもバランスよく自然に思えるのです。輪廻転生帖や海賊船などのガジェットも魅力的です。でもペリーが開国派なのは当然ですよね。

 

2020/11

 

 

地磁気逆転と「チバニアン」(菅沼悠介)

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2020年1月に開かれた国際地質科学連合理事会で、地質年代に初めて日本の地名が刻まれました。更新世の前期と中期の境界を規定する代表地として千葉県市原市にある養老川沿いの地層が選ばれて、「チバニアン」と名付けられたのです。その際に話題となったのは、この地層には直近の地磁気逆転の痕跡が刻まれているということでした。本書はチバニアン申請の中心メンバーで論文執筆責任者を務めた著者が、地磁気逆転の原理や意義をわかりやすく解説しながら、千葉の地層に記された痕跡が示すものを説明したものです。

 

地磁気逆転という言葉を初めて聞いたのは、2004年にNHKスペシャルで放送された「地球大進化」でした。巨大隕石の衝突による地殻津波や海洋蒸発、赤道にまで氷河が到達した全球凍結、マントルが変動するスーパープルームや大陸衝突や大陸大分裂という、地球の生命体を脅かしてきた恐るべき大試練の中に地磁気逆転現象も含まれていたと記憶しています。

 

そもそも地磁気はなぜ逆転するのでしょう。いや、そもそもなぜ地球に磁力があるのでしょう。簡単に言うと「地球はひとつの大きな磁石」だからだそうです。地球の芯である内核は固体ですが、その外側にある外核マントルは冷却しきっていない液体であり、その流体運動が電磁流を発生させ続けているんですね。「フレミングの右手の法則」を思い出しました。そしてその対流の不安定性が地磁気強度の変動や地磁気逆転現象を生み出しているというのです。宇宙線から地球を守っている地磁気の消失や逆転など、考えるのも恐ろしいものですが、過去に何度も起きていて、その最新の逆転が77万年前に起こった「松山-ブルン境界」だとのこと。

 

そして溶岩などに記録された「残留磁化」の痕跡がはっきりと観察できる場所が、千葉なんですね。76万年前なんて地質学的には「とても新しい」できごとなので、海底に堆積した地層が隆起して地上ではっきり見ることができる場所というのは、とても珍しいそうです。房総半島が地殻変動の激しい地域であることは、ちょっと前の「ブラタモリ」でも紹介されていました。

 

実は「チバニアン」を観察できる「千葉セクション」には、今年の3月に行ってきたばかりです。まだ緊急事態宣言前でしたが自粛は始まっていたので、ビジターセンターは閉っていましたが、養老川まで下って断層を間近に見てきました。解説が聞けずによくわからなかったのですが、この本を読んでその重要性を理解できた気がします。

 

2020/11

 

 

チンギス紀 7(北方謙三)

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先のタタール討伐で金国についたテムジンとケレイトのトオリル・カンに対して、テムジンの盟友であったジャムカ、テムジンの仇敵であったタイチウト氏族のタルグダイ、メルキトの新たな族長となったアインガは、反金国の大連合を築こうとしていました。草原ではついに二大勢力に分れた大きな戦いが起ころうとしています。中華から見ると金国と西遼の北方における代理戦争にすぎませんが、これが後に中華のみならず西域・中東・欧州・北アフリカをも巻き込むことになっていくことなど、当時はまだ誰も知る由はありません。

 

キャト氏族を配下に組み入れていたテムジンですが、巨大勢力であるケレイトには遥かに及びません。おのずとトオリル・カンの下風に立つことになりますが、先鋒として戦いの主導権を握っていきます。この戦いによって草原の勢力図も大きく変わっていくのでしょう。一方の三者連合側ではジャムカが大将を務めることになり、ついに旧友同士の決戦が始まります。戦術眼も感性も似通っている2人は、ともに数万という騎馬軍団を率いて互いに譲りません。このあたりの描写には、楊令の梁山泊軍とvs童貫の宋禁軍の決戦を彷彿とさせるものがありますが、草原では数万の軍勢すべてが騎馬隊ですから機動力と破壊力が違います。

 

しかし最後にはテムジンとジャムカの違いが勝敗を決することになるのです。テムジンのもとではカサルやテムゲの弟たちをはじめとして、スブタイ、ジェベ、ボロクル、ムカリ、チラウンなどの若い将校が育っていることも大きいのですが、なんといっても膨大な替え馬を育て、強靭な鉄器を自製させていた先見の明が雌雄を決することになるのです。その意味では、決戦を前にして、その後を見据えた交易や通行の道を通すための地図造りや、鉄鉱山の探索や、法律や病院の整備を始めているテムジンの先見の明は恐るべきものです。それら後方活動の拠点となっているアウラガを襲撃させたジャムカもまた、テムジンが大切にしている思いを理解してわけです。

 

ついにモンゴルが統一されようとしています。テムジンの新しい世界はどのようにして広がっていくのでしょう。

 

2020/11

 

あなたの人生の物語(テッド・チャン)

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近年の中国SFの興隆は目覚ましいものがありますが、本書の著者は中国からのアメリカ移民2世です。寡作ながらどの作品も高く評価されている著者が影響を受けたのがアシモフやクラーク、評価する作家はイーガン、ファウラー、ギブスン、スターリングと巨匠の名があがるところを見ると、現代ハードSFの本流に位置する作家なのでしょう。本書に収録された短篇も多彩です。

 

「バビロンの塔」

バビロンの民が天を目指して建設を始めた塔は、数百年の時を経て完成に近づいていました。月や星々を下に見て、ついには太陽の高さを超えてしまいます。そしてついにたどりついた天は、巨大な丸天井だったのです。エラムとエジプトの石工たちが丸天井を穿った先には、ノアの洪水を起こした天井の水源があるのでのしょうか。それとも・・。我々の知る宇宙とは異なる世界ですが、宇宙論や工学は似通っているのです。

 

「理解」

すべてに無意味を見出したサルトルの『嘔吐』の主人公と異なり、本書の主人公は薬物の力を借りて、すべての精神活動の意味と秩序を理解しえる領域に近づいていきます。しかしもうひとり、超知性にたどりついた別の人物がいたのです。2人が繰り広げる死闘は神々の闘いのようです。

 

「ゼロで割る」

異なる分野の定数である円周率と複素数と自然対数を美しく関連付けたオイラーの等式に触発されて著した作品だそうです。全ての数学が誤謬であることを発見してしまった男女の関係もまた、そのことに影響を受けざるをえません。

 

あなたの人生の物語

突然地球に来訪したエイリアンの言語や物理学の体系は、人類と全く異なるものでした。因果論に支配される世界ではなく、目的論的な解釈が可能な世界では、未来を見通せるものなのでしょうか。これから生まれる愛娘の人生が、山岳遭難によって25歳で断たれてしまうことは、避けられない未来なのでしょうか。「メッセージ」のタイトルで2015年に映画化された、美しく悲しい物語です。

 

「七十二文字」

ゴーレムを動かすラビの呪文が科学の代役を務めている改変世界ヴィクトリア朝。ゴーレムに細かな手作業を行わせる名辞を研究している工学者は、やがて人類という種を記述する個体発生に関わる名辞の研究に巻き込まれていきます。それは神の御業に近づくことだったのですが・・。

 

「人類科学の進化」

超人類が誕生して、旧人類には理解不能な研究が科学の最前線になった時代においても、旧人類の文化は永続的かつ斬新的に進化を続けるのかもしれません。

 

「地獄とは神の不在なり」

ときおり天使が降臨し、ときには地獄の幻視すら顕現される世界。ごく少数の者に奇跡を行い、その他の者には甚大な被害をもたらす天使降臨とは、ほとんど自然災害にようなものなのかもしれません。神や天使や地獄の実在が明白な世界においては、信仰の在り方が異なってしまいます。無条件に神を愛する真の信仰とは、どのようなものなのでしょう。

 

「顔の美醜について」

美醜識別を失認させる処置が手軽に施術できるようになった世界。ルッキズムとは排除されるべき悪なのか、必要悪なのか。美醜失認は、人種差別を根絶する第一歩なのか。それとも家族や友人を認識できなくなる全体主義社会への第一歩なのか。ある女子大で美醜失認を必須規定とするかどうかの学生投票が行われることになり、世論は真っ二つに分かれるのですが・・。

 

2020/11

 

聖者の行進(堀田善衞)

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大著『ゴヤ』を書き上げて以降の晩年をスペインで暮らした著者が、主に中世ヨーロッパを舞台にして描いた宗教色の強い短編集です。『路上の人』、『ミシェル 城館の人』、『ラ・ロシュフーコー公爵傳説』、『方丈記私記』などの長編との関わりも強く感じられます。

 

「酔漢」

冒頭の本作のみが平安期の日本を舞台にしています。加賀の目代による延暦寺末社への狼藉がこじれて。延暦寺本山宗徒の朝廷への強訴事件に発展。とばっちりで罪を得た武士が焼身自殺したことで、京は大火に襲われます。一番とばっちりを食ったのは京の庶民でした。方丈記に記された事件だそうです。

 

「至福千年」

教会から否定された千年王国説幻想は庶民の俗信に生き残って、やがて十字軍を引き起こします。著者は、狂信が生み落とした悲劇を描いたこの作品を「ある諦念をもって書いた」とのことです。

 

「ある法王の生涯」

「最後のローマ皇帝的法王」として権勢を誇ったボニファティウス8世は、いかにして法王にまで成り上がり、なぜ「アナーニ事件」によって無残な死を迎えることになったのでしょう。この法王の後にローマ教会の権勢は地に落ちて「アヴィニョン捕囚」時代が訪れます。

 

「方舟の人」

教会大分裂時代の最期の法王となったベネディクトス13世は、コンスタンツ公会議にて廃位され、スペインのバレンシアでの隠棲を余儀なくされました。しかし本人は95歳で亡くなるまで、自身が真の教皇であると主張し続けたようです。最後には「全世界・全人民を破門する」という独善の人でした。

 

傭兵隊長カルマニニョーラの話」

フランス、スペイン、イギリスなどの近世国家で国軍が創設されるまで、戦争は傭兵同士が行うものでした。ミラノとヴェネツィアの両国を股にかけ、馴れ合いの戦争で英雄となった男でしたが、末路はやはり悲惨でした。近世以降の国家間戦争に比べれば牧歌的な戦争ともいえますが、略奪て凌辱の被害を受け続けた庶民にとっては、大差ないのかもしれません。

 

「メノッキオの話」

イタリアの山村で庶民的ながら原理主義的な宗教に関する暴言を吐きまくった粉屋は、16世紀という宗教改革が起こった時代でなければ放置されただけだったのかもしれません。

 

「聖者の行進」

物語の舞台は一転して19世紀のブラジルへと移ります。荒野の奥にあるという聖地を目指して行進を続けた貧民たちは、広大なアマゾンに消えていくのです。著者はそこに、宗教がもたらした狂気の果てを見たのでしょう。

 

2020/11

 

犯罪小説集(吉田修一)

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これは現代の「説話集」なのでしょうか。不幸な運命が引き起こす犯罪は、多様な姿で現れるようです。

 

「青田Y字路」

少女失踪事件の犯人と疑われた青年は、10年後に起きた同様の事件で再度疑われて焼身自殺。2件めの事件では無罪であったことが判明するのですが・・。

 

「萬珠寿姫午睡」

色欲の限りを尽くした末に殺人容疑で逮捕されて週刊誌をにぎわした女は、幼いころの同級生でした。なぜか自分の名前をその女の源氏名に使われていた主婦は、女の半生をたどった末に危うい世界に入り込みそうになるのですが・・。

 

「百家楽餓鬼(バカラガキ)」

運送会社の御曹司として生まれた男が、マカオのカジノに嵌まり込んで巨額の使い込み・・というと、似たような事件を思い出します。

 

万屋善次郎」

村八分にされた男が村民を大量殺人という事件も実際にありましたね。故郷の村に戻って養蜂で村起こしを図った男が、ちょっとした行き違いで除け者にされていく過程が怖すぎます。

 

「白球白蛇伝

1年だけ活躍して怪我で引退した元プロ野球選手が、なぜわずかな金のために殺人事件を犯したのでしょう。幼少時から才能を発揮して、家族や周囲から尽くされることに慣れていた男は、引退後もヒーローであり続けたかったようなのですが・・。

 

2020/11