りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

結婚のためなら死んでもいい(南綾子)

「三時のヒロイン」の福田麻貴さん主演でTVドラマ化された「婚活1000本ノック」が面白そうだったので、ドラマは未見ですが原作を読んでみました。とはいえ本書はドラマの原作となった作品を全面改稿・改題のうえで文庫化されたものですので、ドラマとの関係は微妙に違っているのかもしれません。

 

未婚で彼氏もいないまま37歳の誕生日を迎えた、売れない小説家の南綾子の前に登場したのは、63歳になった自分自身でした。生涯独身のまま惨めな晩年生活をおくっているという未来の自分の姿に衝撃を受け、綾子は死に物狂いで婚活を開始するのです。

 

しかし彼女の前に現れるのは、理想像から程遠い男性ばかり。しかし37歳の独身女性が高望みなどしていいものなのでしょうか。外見、年収、学歴、性格、センス、年齢などで男性の価値を秤にかけて良いのでしょうか。そもそも彼女は、結婚相手を探しているのか、恋愛相手を探しているのか、自分でもよくわかっていないようです。実りのない婚活に疲れ果てた綾子は、ついに自分の市場価値に気付いて妥協してしまうのですが・・。

 

しかしこれだけなら普通の物語。しかも男性目線で女性蔑視の物語でしかありません。ある事件をきっかけといsて物語のトーンは一変するのです。なぜ婚活市場では「結婚できない女性」ばかりが責められるのか。なぜ自由を手放して、心ときめかない相手と生涯を共にすごさねばならないのか。ユーモアある自虐的な語り口で覆い隠されているものの、実は本書は、婚活の行き着く先に老後や死を見据えているシリアスな小説なのです。男性にこそ読んで欲しい作品です。

 

2024/4

百夜(高樹のぶ子)

小野小町は、紫式部清少納言らによる王朝文化最盛期から100年ほど前に登場した才女です。「古今和歌集」の六歌仙に選ばれた和歌の名手であり、また美人の代名詞として、彼女の名前を知らない者などいないでしょう。しかし彼女の足跡は意外なほどに不確かであり、数多く残る伝説の中に埋もれてしまっています。やはり六歌仙のひとりである在原業平の生涯を『業平』にて再構築した著者が、今度は小野小町伝説に挑みました。

 

両親や生誕地や両親ですら諸説あるのですが、著者は最有力の伝承に従って、小野篁の娘として出羽で生まれたとしています。母親を地元に残して小町が上京したのはまだ幼い少女だった頃。名門小野家の姫として仁明天皇文徳天皇の女御に仕え、その美貌と才能で人々の注目を浴びたわけです。さらに晩年にまつわる伝承も数多く、墓所ですら全国に点在しているほど。著者はこれらの伝承を紡ぎ合わせて一人の女性の生涯を描き上げましたが、重要なのはそこではありません。

 

小町の実作とされる「古今和歌集」の18首を丁寧に読み解いた著者は、「あはれなるようにて真はつよい」女性像を見てとりました。人口に膾炙した「夢と知りせば」や「花の色は」などの歌からは、男性に対する媚びへつらいは感じ取れず、ただただ自分の感性に正直であるというのです。晩年の零落物語が荒唐無稽であり、小町亡き後千年以上続いている男社会が作り上げた誹謗中傷であることは、言うまでもないでしょう。

 

小町が生涯たいせつにした秘めた恋や、在原業平らとの交流や、深草少将の「百夜通い」の真相なども著者の解釈で小説化されていますので、読み物としても楽しめる作品に仕上がっています。そして小町の背後には、出羽や陸奥の大地を感じ取ることもできるはずです。

 

2024/4

茜唄 下(今村翔吾)

平清盛の四男であり、平家棟梁となった兄の宗盛を補佐して源平合戦を闘い抜いた平知盛を視点人物とする「今村本平家物語」は、いよいよ佳境に入っていきます。「三国志」さながらの「天下三分の計」を実現させるために知盛が築き上げた必勝態勢はなぜもろくも崩れ去ったのでしょう。もちろん直接的な理由は、知盛に相対した源義経がとんでもない軍事の天才であったことなのですが、それだけではありません。壇ノ浦で知盛が平家滅亡を覚悟して源義経を救出するという、思いも寄らない展開が待ち受けています。

 

「平家は負け出してからが美しい」とは、著者の言葉です。あえて義経視点を排除して一の谷、屋島、壇ノ浦を描いたことが、「滅びの美学」を際立たせています。もっとも著者自身「義経の視点を取ったら小説としては楽」と語っており、「平家を3回連続でかっこよく負けさせることは挑戦だった」ようです。ついでながら大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で菅田将暉さんが演じた義経像は、本書の義経をイメージしているように思えるのですが、いかがでしょう。

 

さて「敗者の名を冠した歴史物語がなぜ後世に伝えられたのか」というテーマに対する著者の解答が、やはり本書最大の読ませ所でした。、本書は「戦の唄」であり「涙の唄」であると同時に、「家族の唄」であり「命の唄」であり「愛の唄」でもあったのです。『宮尾本平家物語』では「明子」と呼ばれ、本書では「希子」と呼ばれている女性がキーパーソンであるということだけ記しておきましょう。

 

2024/4

茜唄 上(今村翔吾)

この数年だけでも「平家物語」は「池澤夏樹編日本文学全集」に収められた古川日出男訳と「宮尾登美子本」を読みましたが、著者による新解釈は新鮮でした。勝者によって書き記されるはずの歴史が、なぜ敗者である平家の名が冠されているのか。それを遺して後世に伝えたのは誰なのか。そして平家一門が歩んだ滅亡の道が、今日の国際情勢にも通じる視点から描かれているのです。

 

視点人物は平清盛の四男ながら清盛に最も愛された平知盛。清盛亡き後の平家棟梁となった次男・宗盛を補佐する事実上の大将軍として源平合戦を闘い抜いた人物です。なぜ清盛は平治の乱後に源頼朝らを処刑しなかったのかという疑問が解けたことで、彼の大戦略が固まりました。それは後白河法王を中心とする貴族政治を終わらせるために、複数の武家勢力による緊張関係を維持し続けようというものだったのです。しかし、西国の平家、東国の源氏、陸奥奥州藤原氏を想定した三者鼎立状態はついに実現できませんでした。

 

著者はその過程を情熱的に、しかし丁寧に描いていきます。木曽義仲の登場による都落ちはまだ許容範囲だったのでしょう。源頼朝が全てを掌中に取り込みたがる陰湿で欲深い人物であることを見抜いた知盛は、平家・木曽連合軍による東国源氏討伐を目論みます。しかし源義経がとんでもない軍事の天才である一方で、それ以外すっぽりと抜け落ちている人物であったことは、さすがの知盛にしても想定外だったようです。

 

上巻では各地で平氏に反する乱が頻発する中での清盛の死から、木曽義仲の上洛で都落ちした平家が反攻体制を築き上げるまでが描かれます。各章の冒頭に、ある人物が「平家物語」を琵琶法師に伝授する場面が置かれていますが、おそらく「平家物語」の創作者であり伝授者でもある人物の正体こそが、著者がもっとも描きたかったであろう主題と重なってくるのでしょう。

 

2024/4

ニッケル・ボーイズ(コルソン・ホワイトヘッド)

アメリカ南部から脱出する黒人奴隷たちの逃亡劇をファンタジーとして描いた『地下鉄道』の著者が、2度目のピューリッツアー賞を獲得した本書は、史実に基づくリアリズム小説でした。閉鎖されたフロリダ州の少年院学校から多数の遺骨が発掘されたことで、これまで隠蔽されてきた死に至る虐待の事実が明るみに出された事件を発信する目的で書かれた作品なのです。小説なので学校名は架空の「ニッケル校」とされていますが、重要なのはこのような場所は決してひとつやふたつではなかったということなのでしょう。

 

本書の主人公は、1960年代前半にフロリダ州北部のタラハシーに暮らすアフリカ系アメリカ人のエルウッドです。両親がカリフォルニアに去った後、祖母によって育てられた少年は、人種差別の事実を目の当たりにしながら公民権運動に夢を託している高校生です。学業の優秀さを認められて地元大学の授業を体験受講するはずだった日に起こったアクシデントによって、彼の行先は少年院になってしまいました。そこで彼を待っていたのは人種差別の縮図であり、それよりも酷い懲罰でした。社会変革の可能性を信じるエルウッドは、シニカルな皮肉屋ターナーと出会って、脱出を試みるのですが・・。

 

物語の冒頭は21世紀の現代であり、ニューヨークで事業を営んでいるエルウッドが、過去を告発する決意をする場面から始まっています。彼の正体が物語に深みを与えてくれますが、そのあたりは「読ませるための工夫」なのでしょう。本書の目的は、制度化された人種差別の邪悪さであり、理由のない暴力の存在であり、心に傷を負った人々が立ち直る困難さを描くことにあったのでしょうから。

 

2024/4

踏切の幽霊(高野和明)

『13階段』や『ジェノサイド』のイメージが強かったのですが、著者の本領は「社会派ホラーミステリ」で発揮されるのかもしれません。幽霊譚をがっつり中心に置いた作品です。

 

都会の片隅にある踏切で撮影された心霊写真。そこでは列車の非常停止が相次いでいました。取材に乗り出した女性向け雑誌記者の松田は、1年前にその踏切近くで殺人事件があったことを聞き出します。しかし現行犯で逮捕された犯人は何も語らず、被害者の若い女性は身元不明だというのです。そして心霊調査をする松田の周辺でも次々と怪奇現象が起こり始めました。

 

女性の幽霊の存在を前提にした作品です。彼女は身元を洗い出して欲しいのか。それとも犯人への復讐なのか。やがて松田がたどり着いたのは、政治家と犯罪組織の癒着という思わぬ真実でした。そして即死状態であったはずの女性が必死で踏切までたどり着いた理由は、哀しみに満ちていたのです。

 

1994年という時代設定もいいですね。バブル崩壊直後で、インターネットやケータイが普及する直前の時代。誰でもどこでも気軽に写真を撮って加工編集し、気軽に投稿できてしまう現代では、心霊写真などはもはや死語に近いのでしょう。本書はまた、長年連れ添った愛妻を失った主人公の再生物語という、もうひとつの側面を持っています。こちらは時代制約との関りは薄いですね。この組み合わせが絶妙でした。

 

2024/4

そこにはいない男たちについて(井上荒野)

夫のすべてを嫌いになってしまったまりは、友人の瑞歩に誘われて料理教室に参加します。そこは愛する夫を1年前に亡くした美日子が久しぶりに再開した、女性たちが少人数で交流する場でもありました。2人とも38歳で、まだまだ女盛り。まりはマッチングアプリで物色した男とデートを始め、実日子は助手のゆかりの弟からの不器用なアプローチを受けてしまいます。ふたりの「妻」の孤独と冒険の物語は、どこに行き着くのでしょう。

 

いつも側にいる夫を「いない」と思ってしまうまりと、いないはずの夫を「いる」と感じてしまう実日子。はじめは2人の女性の不幸比べのようだった物語は、中盤から次第に変化していきます。互いの視点が入れ替わるたびに、女性たちの内面が不穏な色彩を帯びて来るのです。表面上は世間のイメージに合わせて取り繕っていた仮面が剥がれていく過程が「怖くて楽しい」作品でした。

 

『ベーコン』や『リストランテアモーレ』などの著者らしく、登場する料理が女性たちの心情と連動していくする料理の選び方が抜群です。まりが好き嫌いの多い夫が手を付けない凝った料理を作る場面も、料理のプロである実日子が若い男のためにシンプルな丼を作る場面も、イメージ通り。むしろ先に料理があって、後から心情がついてくるかのようです。

 

2024/4